大変お待たせ致しました。記念するべき第一回目の我が家流ビルマ(ミャンマー)料理レシピ、ピリ辛高菜炒めを紹介します。
第一回目ということで、我が家の定番中の定番である、私の大好きな、ごはんのお供代表『ピリ辛高菜炒め』を紹介したいと思います。これは、大好きな一品で、大量に作り、タッパに入れて、冷蔵庫で保存し、ある間は、ずっと、毎食、ごはんにのっけて、食べていますw
ビルマでは、本来、写真に写っている葉っぱ、ビルマ語でチンバウヨエと言う野菜で作ります。これは、とっても珍しい野菜で、この葉っぱ自体が酸っぱいです。日本にはもちろんないですが、下手すると他の国にはないビルマ独特の野菜かもしれません。ビルマでは、この野菜を葉っぱだけとり、スープや炒め物にして食べます。この野菜自体が酸っぱいので、スープにすると酸辣湯のようなさっぱりと酸味のきいたスープになります。炒めると、酸味が食欲をそそる一品になり、ごはんのお供として重宝されています。
私はこの炒め物(チンバウヨエチョ)が大好きで、これがあれば、他のおかずがなくても、どんどんごはんが進みます。日本でこの野菜が手に入らなく、どうしても食べたくて、手に入る食材で作ったのが、今回ご紹介する『ピリ辛高菜炒め』になります。皆さんも、一度、作ってみて下さい。
材料 高菜 (今回は、九州産のそのままでも美味しい辛子高菜を使います。近くのアコレというスーパーで、一袋100円で買いました。私は毎回、3袋位で作るのですが、レシピは130グラムの一袋分です。) 、 玉ねぎ (小玉一つで充分ですが、たくさん入れると甘みが出るし、血液サラサラになるので、玉ねぎが苦手じゃない方は大玉一つ入れましょう。) 、 ニンニク (一かけ、これも好きな人はもっと入れて下さい。) 、 竹の子の水煮 (こちらも、100グラム前後の小さめので良いのですが、写真は大量づくりなので、大きい370グラムのものです。) 、 小さな素干しエビ30グラム (アミほどの小さなエビが、アコレのスーパーで、100グラム200円位なので、いつもこれを入れますが、ない時は、桜えびなどを入れます。このエビはダシのようなものでもあり、あるかないかで大分違う味になるので、重要です。) 、 唐辛子 (今回は、うちに鷹の爪の輪切りがあったので、それを入れますが、一味唐辛子などでも構いません。生唐辛子があれば、輪切りにして入れるなどのお好みの唐辛子を入れて下さい。量もお好みで入れて下さい。) 、 油おおさじ3 (ちょっとしっとりしている方が私は好きなのでこれ位入れますが、減らしても、増やしても大丈夫です。ごま油などにすると、香ばしく、更に食欲をそそりますので、おすすめです。) 、 ナンプラ少々 (あれば、ナンプラを少々、なければ、おしょうゆで大丈夫です。) お酢少々 (ビルマのチンバウヨエチョに近づけたい方は、入れましょう。)
作り方 玉ねぎ、ニンニクをスライスし、竹の子の水煮を食べやすい大きさにスライスし、ザルで水気をきっておく。
フライパンを中火にかけ、油を入れ熱し、玉ねぎを入れ、ちょっとしんなりしてきたら、ニンニクを入れて、大分しんなりして、色が変わってきたら、唐辛子を入れ、唐辛子が焦げないようによく混ぜる。 唐辛子の香りがしてきたら、火を小さくする。
小エビを入れ、よく混ぜる。火を小さくしないと、小エビや唐辛子が焦げてしまうので、気をつけましょう。
小エビの香りもしてきたら、竹の子を入れて、中火に戻し、よく混ぜ炒める。竹の子が油となじむまでしばらく炒めます。
最後に、高菜を入れ、よ~く混ぜ炒めてください。全体がよ~く混ざったら終了ですが、味見をしてお好みでナンプラやおしょうゆ、お酢などを入れて、仕上げてください。
私がよく買っている辛子高菜は、塩分控えめに仕上げたい場合は、ナンプラやおしょうゆなどが要らない位、味がしっかりしていますので、ビルマ風になる程度、ほんのちょっとだけナンプラをふりかけて仕上げています。
本当にごはんが進むので、ぜひ作ってみて下さい。
2015年12月23日水曜日
2015年12月20日日曜日
腱鞘炎が治りません((/_;)/)
腱鞘炎が悪化はしてないけど、治りません。七ヶ月の娘がいまして、持ち上げなきゃいけないからか、腱鞘炎になり、そして、左手とは言え、使わないわけにはいかず、良くなってきません。
全然アップ出来てないからか、料理の写真ばかりが増える一方。治る気配がしないし、画像フォルダがパンパンになってきたので、明日から頑張ってアップします。
全然アップ出来てないからか、料理の写真ばかりが増える一方。治る気配がしないし、画像フォルダがパンパンになってきたので、明日から頑張ってアップします。
2015年12月10日木曜日
腱鞘炎
ブログ立ち上げたのに、全く更新出来ていなくて、すみません。立ち上げて、すぐ、手首が腱鞘炎になりましたので、なかなか文字が打ちづらく、痛みがあります。実は、今も痛いです。毎日のように、お料理の写真を撮っています。だいぶ、たまりましたので、腱鞘炎が治り次第、写真付きのレシピをアップします。
2015年12月1日火曜日
自己紹介
まずは、自己紹介します。私は、12歳の時に、家族と一緒に日本にやって来ました。私以外の家族は兄たちもバイトして家計を支えていたので、私も何かしなきゃと思い、掃除、洗濯だけではなく、料理も試しに作ってみました。それまで、母の手伝いをしていたので、ミャンマー料理の仕方はなんとなくは分かっていました。見よう見まねで作った私の初めてのミャンマー料理は何だったのかは、もう覚えていませんが、初めてにしては、まあまあな出来でした。両親に誉められたのを覚えています。それ以来、我が家の家事は全て私がやるようになりました。
また、家族で、東京の高田馬場駅近くで、ビルマキッチン『ナガニ』というミャンマー家庭料理(ビルマ家庭料理)を中心としたエスニック料理屋を10年近くやっていたので、28歳の時に、結婚して家を出るまで、長い間、毎日ミャンマー料理を作りました。
結婚してからは、日本とベトナムの混血である主人も食べられるようにミャンマー料理以外の料理も作るようになりました。高校が調理、裁縫、保育、福祉がメインの学校だったので、和食、洋食、中華、イタリアンと色々な料理が作れるようになっていたので、我が家の食卓は多国籍な感じです。台所も多国籍ですwしょうゆの横にナンプラやオリーブオイルにオイスターソースとにぎやかな感じです。
毎日、色々な料理をしていると、これにこれを入れたら美味しいかもとか、これはこれに合うかもとか、思うようになり、実行していました。ミャンマー料理にしょうゆを入れたり、イタリアンにナンプラを入れたりと、多国籍料理からどんどん無国籍料理になっていましたw
このブログでは、正統なビルマ料理やベトナム料理も紹介しますが、基本的には私が生み出した国籍のないフュージョン料理、すなわち勝手料理になりますので、ご了承下さいw
◎ ⚫ ◎ ⚫ ◎ ⚫ ◎ ⚫ ◎
2016年4月からは、娘も一歳になりましたし、ミャンマーもアウンサンスーチー氏率いる民主勢力が選挙で圧勝し、本格的な民主主義国家になり始めたので、以前よりも仕事が多そうと見込み、休んでいた『日本語ミャンマー語(ビルマ語)通訳・翻訳、ミャンマー語教師、ミャンマー関連セミナーや講演会の講師』の仕事を再開しました。
そのため、育児と家事に加え、仕事まであり、もとから殆ど更新出来ていない当ブログは、更に更新出来ない可能性もありますが頑張ります。
簡単な紹介
1979年2月25日、ミャンマーのヤンゴン生まれ
1991年に家族と共に来日
ミャンマーでの最終学歴 ミャンマーの言い方では、8年生終了(日本での学年にすると、中学校卒業)
日本での最終学歴 夜間中学校に通い、都立忍ヶ岡高等学校を経て、文化服装学院卒業
28歳の時に結婚し、現在は一児の母として子育てに奮闘中
日本語レベル : 日本語検定1級合格
通訳・翻訳歴
夜間中学校に通い始める前に、日本語学校で日本語を学んでいたため、ある程度出来るようになっていました。そのため、十代の頃から所属していたビルマ人ボランティアグループの活動の一環として、日本語が出来なくて困っているビルマ人の人達に日本語ビルマ語通訳翻訳のボランティアをし始めました。内容としましては、家探しの際の不動産屋とのやりとりや病院でのやりとり、役所や職場でのやりとりなどなどでした。
専門学校に通い始めた時期からは、通訳・翻訳が出来る事が徐々に広まり、仕事としての依頼も入るようになりました。
明かせない内容も多くございますが、一部を紹介しますと、電通や入国管理局、ユネスコ、法律事務所、テレビ局、難民支援協会や輸出入会社などの組織単位だけではなく、アーティストや旅行者などの個人単位での通訳・翻訳まで多岐にわたり仕事させていただきました。
内容も、難しいもので、入国管理法改正時の翻訳から、国際会議や講演会、商談での通訳はもちろん、留置所での取り調べや接見時の通訳、裁判所に提出する書類の翻訳、病院での診察や手術時の通訳、万博会場でのガイドを兼ねた通訳、ビザ申請時の書類翻訳、テレビ番組の通訳・字幕制作、取材時の同行通訳、受賞式での付き添い通訳などだけではなく、旅行の同行ガイド通訳や歌詞の翻訳、ラブレターの翻訳まで多岐にわたり仕事させていただきました。
また、家族で、東京の高田馬場駅近くで、ビルマキッチン『ナガニ』というミャンマー家庭料理(ビルマ家庭料理)を中心としたエスニック料理屋を10年近くやっていたので、28歳の時に、結婚して家を出るまで、長い間、毎日ミャンマー料理を作りました。
結婚してからは、日本とベトナムの混血である主人も食べられるようにミャンマー料理以外の料理も作るようになりました。高校が調理、裁縫、保育、福祉がメインの学校だったので、和食、洋食、中華、イタリアンと色々な料理が作れるようになっていたので、我が家の食卓は多国籍な感じです。台所も多国籍ですwしょうゆの横にナンプラやオリーブオイルにオイスターソースとにぎやかな感じです。
毎日、色々な料理をしていると、これにこれを入れたら美味しいかもとか、これはこれに合うかもとか、思うようになり、実行していました。ミャンマー料理にしょうゆを入れたり、イタリアンにナンプラを入れたりと、多国籍料理からどんどん無国籍料理になっていましたw
このブログでは、正統なビルマ料理やベトナム料理も紹介しますが、基本的には私が生み出した国籍のないフュージョン料理、すなわち勝手料理になりますので、ご了承下さいw
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2016年4月からは、娘も一歳になりましたし、ミャンマーもアウンサンスーチー氏率いる民主勢力が選挙で圧勝し、本格的な民主主義国家になり始めたので、以前よりも仕事が多そうと見込み、休んでいた『日本語ミャンマー語(ビルマ語)通訳・翻訳、ミャンマー語教師、ミャンマー関連セミナーや講演会の講師』の仕事を再開しました。
そのため、育児と家事に加え、仕事まであり、もとから殆ど更新出来ていない当ブログは、更に更新出来ない可能性もありますが頑張ります。
簡単な紹介
1979年2月25日、ミャンマーのヤンゴン生まれ
1991年に家族と共に来日
ミャンマーでの最終学歴 ミャンマーの言い方では、8年生終了(日本での学年にすると、中学校卒業)
日本での最終学歴 夜間中学校に通い、都立忍ヶ岡高等学校を経て、文化服装学院卒業
28歳の時に結婚し、現在は一児の母として子育てに奮闘中
日本語レベル : 日本語検定1級合格
通訳・翻訳歴
夜間中学校に通い始める前に、日本語学校で日本語を学んでいたため、ある程度出来るようになっていました。そのため、十代の頃から所属していたビルマ人ボランティアグループの活動の一環として、日本語が出来なくて困っているビルマ人の人達に日本語ビルマ語通訳翻訳のボランティアをし始めました。内容としましては、家探しの際の不動産屋とのやりとりや病院でのやりとり、役所や職場でのやりとりなどなどでした。
専門学校に通い始めた時期からは、通訳・翻訳が出来る事が徐々に広まり、仕事としての依頼も入るようになりました。
明かせない内容も多くございますが、一部を紹介しますと、電通や入国管理局、ユネスコ、法律事務所、テレビ局、難民支援協会や輸出入会社などの組織単位だけではなく、アーティストや旅行者などの個人単位での通訳・翻訳まで多岐にわたり仕事させていただきました。
内容も、難しいもので、入国管理法改正時の翻訳から、国際会議や講演会、商談での通訳はもちろん、留置所での取り調べや接見時の通訳、裁判所に提出する書類の翻訳、病院での診察や手術時の通訳、万博会場でのガイドを兼ねた通訳、ビザ申請時の書類翻訳、テレビ番組の通訳・字幕制作、取材時の同行通訳、受賞式での付き添い通訳などだけではなく、旅行の同行ガイド通訳や歌詞の翻訳、ラブレターの翻訳まで多岐にわたり仕事させていただきました。
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